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2006年4月22日 (土)

山口「最後は人だ」

僕が28歳の時、父は56歳だった。帰省した際、父は車の中で「俺はお前の倍生きてる」と僕に言った。
年齢もあって、父は人の上に立って働いている。社長とまではいかないけれども。
今の仕事場のいろいろな話をお互いにして、最後に父は「サト(←僕)、なんだかんだいっても、最後は人だぞ」と言った。
同じ部下でも、どちらかを選ばなくてはいけない時、結局は「人」で決めると父は言っていた。その父が言う「人」とは、「人柄」なのか「相性」なのか、なんなのかははっきりはわからないが、何となく僕もそう思った。
そういえば、ユニットバスシンドロームのプロデューサー平林氏の母も、同じ事を言っていた。ひとしきりある人のバッシングをした後「山ちゃん(←僕)、結局は最後は人よ、あなた。あなたは性格良いから大丈夫よ」
何が大丈夫なのかはわからないが、平林氏の母はそう言った。

ウチの前には焼き鳥屋がある。そこの焼き鳥はおいしく、安い。いつも必ず並んでいる程の人気だ。
その日、その焼き鳥屋の前には一人しか客がなく、僕は「レバー」と「つくね」を食べようと、その客の横に並んだ。その先客の注文は数が多く、店のオヤジは少し忙しそうだ。僕は注文を聞かれるのを待つこと3分、並んでいるのに注文を聞かれない。忙しいから仕方ないと、少し待っていたその時、オヤジの手が止まった。ビールを飲み、一息つくオヤジ。すかさず僕は言った「すいません、レバーとつくねを」
オヤジはコップを置きながら「ちょっと待って」とぶっきらぼうに言った…いや、そう聞こえた。明らかにめんどくせーなと思いながらの台詞。
何人もの注文を聞いているならともかく、客は二人。しかも一人目の客の注文はすでに焼けていて、あとはタレか塩を付けるだけ。ちなみに僕は「レバーとつくねをタレで」と言いたかった。
次の瞬間、僕はその店を後にしていた。
オヤジが少し僕の方を見たのが分かった。
ハラペコな僕は、その焼き鳥屋の「レバーとつくねをタレで」食べたかったが、とてもおいしいので食べたかったが、そのオヤジの振る舞いが僕の胃液を止めた。
「焼き鳥屋のオヤジよ、いくらおいしい焼き鳥屋でも、結局最後は人だよ」
そう思いながらウチに帰って食べたコンビニ弁当は、少し切なかった。

次の日、その店は威勢のいいオバさんが焼き鳥を焼いていた。何人もの注文をテキパキこなしている。
忙しかったからだろう、僕の注文した「レバーとつくねをタレで」の「レバーとつくね」は塩味でやって来た。笑顔で愛想をふりまき、オバさんは次の注文をこなしている。僕は「レバーを塩で」初めて食べたが、やっぱりタレで食べたかったな、と思った。少し残念だったが、今度もまたあのオバさんに注文しようと思った。「タレでお願いします」と大きな声で。
ムカついていない自分に気づき、「やっぱり人だな」と、また思った。

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2006年4月19日 (水)

山口「フーセンとシャボン玉に妙に喜ぶ女には気をつけろ!」

ある春の夕暮れ時、僕たちは前を歩くカップル達を見ながら話していた。やれあの男は遊び人だの、やれあの女は遊ばれてるだの、あの二人は不倫だの。適当なことばかり言って…そういう時期もある。
そんな中、あるカップルの女の方が赤いフーセンを大事そうに持っていた。それを男に見せるように上下運動させる。いわゆるフーセンで楽しく遊んでいる風景だ。男は何を思ったか、そのフーセンをパンチしたいらしく、ジャンプ&ジャンプ。これまたフーセンで楽しく遊んでいる風景だ。
それを見た僕たちがどちらからともなく言った。
「フーセンとシャボン玉に妙に喜ぶ女には気をつけろ」
その「フーセンにパンチしたい男」は一人で家に帰り、玄関を開けたら赤いフーセンが目の前にフワフワ浮いてたとしても、ジャンプしてまでパンチは繰り出さない。「フーセンに妙に喜ぶ女」にやられたのだ。

ところが先日、こともあろうに僕がやられてしまった。
僕の方は「シャボン玉に妙に喜ぶ女」にである。
その女はとにかくたくさんのシャボン玉を要求する。たくさんのシャボン玉が現れると「うわーきれーい」と妙に喜ぶのだ。「もっともっと」と言われ、どんどん作る僕。シャボン玉が彼女の目の前で割れてしまい、目に石けん水が入ってしまう。目をつぶる彼女、「大丈夫?」と心配する僕。それでも彼女はシャボン玉を要求する。
手をめいっぱい挙げて、シャボン玉に触ろうとする彼女。「とどきたい、とどきたい」と呪文のように言いながらひたすらシャボン玉と戯れる。と思ったら僕の耳を見て「サトシ君、お耳大きいね」と言った。シャボン玉に夢中と見せかけて、僕の耳の大きさまで見ている彼女にさらにやられてしまう。
そしてシャボン玉の液がなくなってしまうと、次はお絵描きだ。
彼女が「ママ」を描いてくれと言うので、かわいいママを描くと「サトシ君、きもちわるいー」と言った。僕が気持ち悪いのか、描いた絵が気持ち悪いのかはっきりして欲しかったが、その時には彼女の興味は、もう僕には無かった。
ママに絵本を読んでもらっている彼女を横目に、僕は彼女のパパとサッカーゲームをする。
彼女は3歳で、パパとママは僕と同級生だ。
「フーセンとシャボン玉に妙に喜ぶ女には気をつけろ!」と言った僕ですが、3歳の彼女にシャボン玉をプレゼントしたのも僕だったりして。次はフーセンで遊ぼうかなぁ。

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2006年4月18日 (火)

平林「ケンワタナベに夢中」

最近、渡辺謙に夢中だ。あの色気に、あのオーラ。もうたまりません。しかも波乱に満ちた人生をくぐりぬけ、手にしたあのサクセス。それなのに性格も素晴らしいときた。現在のケンには、あの世界最高俳優である役所広司でも歯が立たない。

出会いはNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」。子供心に、あの強さにガツンとやられた。それから20年。ケンにはいろいろあった。白血病でたおれ、超大作映画「天と地と」の降板。長い闘病生活。ラストサムライでアカデミー賞にノミネート。離婚調停の泥沼化。ハリウッドで大活躍し、南果歩との再婚。そのどれもがぼくの興味を引いていたが、なによりその経験をしてきた今のケンがとってもいい。

そのケンが一目ぼれした小説をエグゼクティブプロデューサーとして、自らの主演で映画化した「明日の記憶」は、今一番観たい作品だ。若年性のアルツハイマーになったサラリーマンと奥さんの日々を描いたものらしい。ケンの人生そのものではないか!すでに目が潤んできた。公式HPをみたら感動的なテーマソングが流れていた。これもまたツボ。観る前からすでに五つ星。どんなにつまらなくてもすでに満点を獲得している。

ああ、ケンのような人間になりたい。しかし鏡を見るとトホホとしか言いようが無い。ハゲかかった頭だけが、ケンワタナベで、その他は思いっきりツトムヒラバヤシだからだ。でもまだチャンスはある。ケンの年まであと二十年あるっ!

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山口「髪を切る場所」

僕は小学生低学年のころは、マッシュルームカットだった。さらさらで、ポールマッカートニーだった。おそらく母が切っていたのだろう。
中学では校則で丸刈りと決められていた。バリカンを購入し、父に頭を刈られた。「12ミリ」でって言ったのに、「6ミリ」で刈られてふてくされた夜もあった。
高校に入り、サッカーにのめり込み、髪型は自然とスポーツ刈りだった。父がずっと通っていた「床屋のいいつか」に一緒に連れて行ってもらう。初めての顔剃りに、鳥肌が立った。
上京して困ったことの一つに「髪を切る場所」があった。床屋と美容室の違いがわからなかった田舎者の僕は、どうしてもオシャレな内装や、オシャレであろう美容師さん達を見ると、その「髪を切る場所」には入れなかった。そんな中、先輩に勧められた美容室へ行ってみると、やたら話しかけられ、意見を押し付けられ、髪を洗うときには何かメッシュ的なものを顔に乗せられ、仕上げにジェルを塗り込まれ、最後はシャンプー代を別に取られ、そのわりに顔剃りはなし。「やっぱ、東京の美容院は違うは…」と埼玉の北部で思った。
それからも引っ越す度に、その場所を探すのに苦労している。
なるべく話しかけて来ないような人がいるような、小さくて落ち着いた感じの場所を探す。従業員は男女共にいる方がいい。客は若者だけでなくオバさんもいて、男子もいて、外から髪を切られている様子が見えない方がいい。
今。僕が髪を切る場所は、歩いて5分くらいのところにある。この町に来てたくさんの場所を回ってやっとあった場所だ。
担当の斎藤さんは僕にたくさん話しかけて来る。僕も話しかける。「ユニットバスシンドローム」公開時には、火曜の夜に来てくれた。油断してると、悩みとか話してるときもある。
話すのが嫌なんじゃなかったのかも知れない。2ヶ月に一回、今では話すのが楽しみだ。
適当に話されるのが嫌だったんだと思う。斎藤さんは笑う時、ハサミが完全に止まる。僕のオデコが細かい毛だらけになって、かゆいかゆいであることにも、気づかない程に笑う。
先日、髪を切りに行った際、「髪を切る場所を探すのは難しく、また引っ越したら探さなきゃいけない」と言った僕に斎藤さんは「まあ、ここに通ってくれてもいいんですけどね」と冗談っぽく笑って言った。僕も笑ったが「通う」とも「通わない」とも言わなかった。
精算して帰りがけに「今度は僕の映画のDVDを持って来ますよ」と僕から言った。
「髪を切る場所」に髪を切らない日にも行ってみようと思います。「髪を切るだけじゃない場所」ってのもいいものです。

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2006年4月13日 (木)

山口「不愉快は伝染する」

不愉快が伝染する瞬間を見た。
とある電車。座って読書をするご婦人の前で僕は立っていた。するとご婦人の横の空いている席に、大音量で音楽を聴く若者が座る。安物のヘッドホンのため音が漏れる。聞いている音楽も何やらしょうもない音楽だ。
何度も若者の方を睨むご婦人。ついでに僕の方を向き「迷惑しちゃうわよねー」と目で訴えかけてくる。「そうですねー」と僕も目で返す。
読書をあきらめるもイライラは止まらない。その後もご婦人の睨みは続いた。
そしてその大音量若者が、ある駅で下り、ご婦人は再び読書を開始。すると今度は若奥さん風の人がその空いた席に座った。買い物帰りなのか荷物が少し多い。
若奥さんが座ったその時、持っていた荷物がほんの少しだけ、読書していたご婦人に触れた。ご婦人は若奥さんを一瞥し、舌打ちをしてしまったのだ。ビックリしたのは若奥さん。ほんの少し触れただけで舌打ちされることはない。隣の人に、全く触れずに電車の座席に座る事はできない。若奥さんはたくさんの荷物を持ちながら明らかに苛ついていた。
不愉快が伝染したのだ。
ご婦人も普段なら、そんな事はしなかっただろう。あの大音量で音楽を聞いていた男のせいだ。でもその男も何かに不愉快をうつされ、ストレス解消で音楽を聞いていたのかもしれない。この若奥さんも不愉快を誰かに伝染させてしまうかもしれないなと思いながら、僕はその不愉快電車を下りた。
不愉快でいると周りにそれを伝染させてしまうということは、知っていた方がいい。

不愉快な人と一緒にいるのは不愉快なものだ。
愉快な人と一緒にいるのは愉快なものだ。
愉快な人になろう。

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2006年4月 7日 (金)

平林「いい女をみつけてしまった・・・」

最近の山口の日記は感動系のいい感じなので、俺もそんな感じにしたくなっている。しかしどうにも思いつかない。それどころか昨日から、ある女性のことで頭がいっぱいだ。

それは、昨晩テレビを見ていたときのこと。NHKで「プロジェクトX」の後番組として放送中の「プロフェッショナル」を偶然みることができた。しかも敬愛するスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーの特集。これはラッキーと番組を見始めたら、ラッキーどころではなかった。司会をしていた女性から目が離せない。ああっ、なんて素敵なんだ・・・。そのあまりにタイプなその女性との出会いによって、開始一分で目的が完全に変わった。名前が度々テロップで出るが、うっとりしちゃって全く頭に入らない。とうことでいまだに知らない。どうしていいのかわからないので、とりあえず受信料を絶対払おうと心に誓った。

そういえば、以前にもテレビを観ていて、本気で好きになっちゃったことがあった。確かウッチャンナンチャンのTBSの番組だ。素人の男女が、番組の指令通りに動き、本気で恋をするようになっていくというコーナー。主題歌はサザンオールスターズの「TSUNAMI」。そのシリーズの一人の女の子にドハマリしちゃって、本気でラブレターを書こうとしていたことがあった。今の気持ちはそのときに似ている。ああまずい、こんなことでは、いつまでたっても独身貴族だっ。しかしもう遅い。俺のハートの列車は動き出してしまったようだ。誰かあの女性が誰だか教えてくれ~

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2006年4月 5日 (水)

山口「君はセスクファブレガスを知っているか?」

「セスクファブレガス」というサッカー選手を知っているだろうか?
プレミアリーグ、アーセナルのゲームメーカーである。ベルカンプ曰く「彼は世界でも指折りのゲームメーカーになった」。
僕はこういう情報が大好きだ。サッカー解説を聞いているとたまにこういう解説が入る。
有名な選手が、若い選手を認め、褒める。素敵だ。
その昔、ラモス瑠偉も言っていた。「志郎のプレーを見ているとワクワクしてくるよ」志郎とは「菊原志郎」である。柔らかいパスとドリブルをする良い選手だった。
僕は彼らが「ファブレガス」や「菊原志郎」を褒める前から、彼らのプレーが好きだった。だから嬉しいのだ。

僕も褒められた事がある。
中学の頃のサッカー部の春樹先輩はキャプテンでセンターフォワードだった。おまけにヤンキーから僕を守ってくれた人だ。
先輩のチームと僕たち後輩のチームである日紅白戦をした。僕は中学の時、母にブラジルに行かせてくれと頼んだくらいのうまさだったので、先輩達をキリキリマイさせたのだ。先輩達はみんなイライラしていた。
すると春樹先輩だけはこう言った。「なんだよ、さとし一人にやられっぱなしじゃねーかよ」と嬉しそうにそう言った。凄く嬉しくてその後も張り切ってた僕。

最近、フットサルをしたからか、サッカーの夢を見ました。
何故か中学時代の僕の得点シーンです。コーナーキックのこぼれ球を、右足でボレーシュート!!たくさんのディフェンダーの間をボールが抜けて行きます。ゴールネットがサワーっとなります。先輩達が僕の坊主頭をグリグリやって来ます。先輩達の役に立てたのが嬉しかった。
今でも忘れない、僕の公式戦初ゴールです。
よくわかりませんが、夢を見たもので…

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2006年4月 3日 (月)

平林「マツクラさんは身近にいる」

前々回の日記で、最近お気に入りの女性シンガー、マツクラさんの話を書いた。するとどうでしょう、身近な人たちから私も知ってます!と2通も連絡が来た。

まずは、友人・今西祐子。「先日マツクラさんがライブをしたダーチャという吉祥寺の喫茶店でお茶していたところ、ぼくの日記で読んだマツクラさんに遭遇し、一緒にお茶を飲んだ!」というもの。見かけたとかならわかるが、一緒にお茶までした、というのはどういうことかっ!その経緯は、あまりにも謎だ。

そして、ユニットバス・シンドロームの照明とスチールを担当している良知くんから「実は数年前に恵比寿で、彼女のライブを観た。」と連絡がきた。しかも、そこでは外人の歌も歌っていて、録音しているからCDにやけるという。早速おねだりしたが、彼は現在、イギリスに写真の勉強をしに留学中なので、はるばる外国からのメールであった。

このペースでいけば、実は私も知ってますという人が、僕の身近だけで、一年後には50マツクラを超える。しかも彼女の実力からすると、口コミや曲を聴いた純粋なファンもハイペースで、ねずみ講のように知られるだろうから、十年後には20万マツクラという計算だ。恐るべし、マツクラ!実は今日、吉祥寺の曼荼羅というライブハウスでご出演なのだが、仕事で行けそうにも無い。ちぇっ。

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山口「レンコンの話」

夜中にやっている料理番組を見ていると、無性に食べたくなり、作りたくなる。
その日の深夜の献立は「筑前煮」だった。
次の日、僕は「筑前煮」を作ろうとスーパーへ。近所のスーパー「ダイイチ」はエノキがたまに10円だ。最近は29円だけど。
奥さん連中に混じって、里芋、人参、椎茸、鶏肉などを次々にカゴに中へ。何かが足りないと悩む事5分、レンコンが食べたいからこその「筑前煮」なのだと再確認。
レンコンコーナーにつくと、どのレンコンが良いのか悩んでいた。選び方がわからない。長細いもの、太いもの、黒いもの、白っぽいもの、大きいの一個、小さいの二個、等。悩んだ時は大きいものだと大体決めている僕は大きいものを手に取った。
そして、レンコンをカゴに入れた時、僕は笑われたのだ。メガネの奥さんに。
僕の選んだレンコンが悪かったのか?
いや違う。僕のような男がレンコンを買う事が自体がおかしいんだ。もしかしたらレンコンで悩んでいる事が面白かったのかも知れない。
でも、僕は奥さんに言いたい。
「男だってレンコンぐらい買いますよ」

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